「墨東綺譚」(永井荷風)

失われゆく江戸情緒を文章に留める

「墨東綺譚」(永井荷風)新潮文庫

「わたくし」=大江匡は、
執筆中の小説「失踪」の
主人公・種田の性格描写の取材と、
隣人の騒音からの回避のため、
玉の井に通い始める。
ある日の夕方、
私が差した傘の中に、
一人の女性・お雪が入ってくる。
彼女は玉の井の私娼だった…。

現代作家の小説は、
何も事件が起きないのが特徴です。
でも本作品は、70年前に
書かれた作品でありながら、
何も事件が起きません。

事件は何も起きない。
ならば作者は
一体何を描こうとしたのか。
作家と玉の井の私娼の、
短く淡い交渉の描写が
目的ではないのでしょう。
明治生まれ
明治育ちの「わたくし」が、
大正育ちの人々を
「現代人」と批判していることからも、
失われゆく江戸情緒を
文章に留めておこうというのが
本当の狙いだったのでは
ないでしょうか。

「線路の左右に
 樹木の鬱然と生茂った
 広大な別荘らしいものがある。
 吾妻橋からここに来るまで、
 このように老樹の茂林を
 なした処は一箇所もない。
 いずれも久しく
 手入れをしないと見えて、
 匐いのぼる蔓草の重さに、
 竹藪の竹の
 低くしなっているさまや、
 溝際の生垣に夕顔の咲いたのが、
 いかにも風雅に思われて
 わたくしの歩みを引止めた。」

このような描写が
いたるところに見られます。

東京は関東大震災、
そして東京大空襲と、
壊滅と復興を繰り返し、
その度に大きく変化してきた街です。
古いものと新しいものとの間に
連続性がなく、
常に断続を強いられてきているのです。
そうした新しい街並みや
新しい文化を
受け止め切れていない
荷風のようすが
そこここに見え隠れしています。

作品中で荷風は
「わたくし」の口を借りて、
「『けれども』を『けど』、
又何事につけても
『必然性』だの『重大性』だのと、
性の字をつけて見る」ことに
「堪難い嫌悪の情を感じ」ています。
荷風が現代に生き、
TVやネットに
氾濫している言葉を見たら、
さぞ驚き怒るのではないでしょうか。
いや、それ以前に
墨東地域に聳え立つスカイツリーを
目の当たりにした段階で
卒倒するでしょうか。

読み砕き、味わうまでには、
それなりの読解力と日本文化の知見、
そして読書経験を要する一冊です。
私もまだ
十分に味わい切れていません。

これこそまさに大人の読書本です。
50代以降の大人のみなさん、
電車の中で若い人のまねして
スマホなんぞいじってないで、
本書を広げてみませんか。
新しい世界が見えてきますよ。

(2019.2.28)

【青空文庫】
「墨東綺譚」(永井荷風)

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